12日 11月 2024
彦根城博物館友の会県外研修で福井県越前市の紫式部公園を訪れました。紫式部が越前国司に任ぜられた父とともに訪れたのがここ越前です。松原客館に滞在する宋の国の人たちを通じて先進的な大陸の文化に触れ、大きな影響を受けた式部をしのんで作られたのが「紫式部公園」です。庭園は全国でも珍しい神殿造庭園、園内には泉池を望む釣殿、金色の式部像、式部歌碑、藤棚があり、霊山として信仰された日野山も見えます。式部は「式部集」に目に近き山と記し、紫式部像の前方には日野山が望めます。国府のあった場所は今、発掘中だそうです。
03日 11月 2024
静岡県島田市、お茶畑がいっぱいの牧之原台地に築かれた「諏訪原城」です。井伊直政の正室・唐梅院の父、松井忠次が天正3年(1575)に鷹巣城攻略後、諏訪原城守備での功績により家康より偏諱と周防守の称号を許された出世の城を訪れました。高台からは遙か彼方に富士山が望め、眼下には大井川が見えます。島田市博物館課文化財係の諏訪原城跡のパンフレットによると、諏訪原城は天正元年(1573)に遠江新攻撃のために武田勝頼によって築かれたお城で、城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名前が付いたと言われています。諏訪原城は駿河から遠江に入る要所で掛川の高天神城攻略のための陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。天正3年(1575)に徳川家康によって攻め落とされたあと、牧野城と名前が変わり、今川氏真や松平家忠らが城番になりました。天正9年(1581)に高天神城が落城し、翌年、武田氏が滅亡するとこの城の必要性がなくなり、徳川家康が関東に移ったことから天正18年(1590)頃廃城になったそうです。 東海道が城内を通過し東西交通の要衝の地に築かれたお城です。武田氏が滅亡すると、忠次は沼津の三枚橋城に在城し、駿河匡富士郡・駿東郡の郡代を任されました。
20日 10月 2024
彦根の夢京橋キャッスルロード一帯で「ご当地キャラ博2024」が開催されました。32都道府県と海外から100を超えるゆるキャラたちが集まり、それぞれのご当地PRにがんばってます。
14日 10月 2024
画家の松林さんの作品「古民家」があいしょう絵画展で滋賀報知新聞賞を受賞されました。
14日 10月 2024
蕎麦の白い花が田んぼに広がっています。新そばの季節が近づいてきました。蕎麦の発祥の地といえば滋賀県ですが、その中でも最大の収穫量を誇っているのが多賀町です。多賀大社門前の蕎麦やさんで新メニューの多賀蕎麦食べ比べを味わうことに(*^_^*) 十割、二八、十割の方がやや黒くて少し硬い目な感じです。十割蕎麦のそば粉は地元のシルバーさんが蕎麦の実をゴリゴリ摺っておられますが、どうしてもきめが粗く打ってもバラバラになるので、業者さんにきめ細かな粉にしてもらい混ぜて蕎麦打ちをしておられるそうです。
14日 10月 2024
井の国歴史懇話会現地研修の最後は「西尾城」です。彦根藩井伊家分家(兵部少輔家)初代・直政の嫡男・直継は家康から3万石を与えられ上野国安中藩の初代藩主になりますが、その息子の直好のときに転封になったのが三河国西尾藩でした。西尾城は足利義氏が築城した西条城が始まりと伝えられ、足利氏は吉良氏と改めこの地を治めました。関ヶ原合戦後は、本田康俊が西尾二万石の藩主に入り、その後、松平氏、本多氏、太田氏、井伊直好、増山氏、土井氏、三浦氏が治めました。1638年に西尾城大改修が計画され、堀と土塁が城下町を囲む「総構え」と体裁を企画します。藩主となった直好はその工事を受け継ぎ明和3年(1657)に完成させました。旧近衛邸は、江戸時代後期、島津斉彬のお姫様が近衛忠房に嫁いだご縁で、島津家によって建てられましたものです。
05日 10月 2024
今日は彦根四番町スクエアでハロウィーン祭りより少し早い「子どもハロウィンパーティー」の開催です。
04日 10月 2024
愛知県西尾市吉良町は吉良が旗本だった領知にある華蔵寺は高家吉良家の菩提寺です。お寺の前には赤馬に乗った吉良上野介義央(よしひさ)公がお出迎え。江戸時代中期この地を統治した義央公は領地入りしたときに赤馬(農耕馬)に乗って領内を回り、領民たちと気さくに話し、愛されていたお殿様だったそうです。華蔵寺はその義央公の祖祖父義定公が1600年、旗本として再興した際に父・義安の菩提を弔うために創建したお寺です。吉良家墓所には代々の墓が建ち並び、赤穂浪士討ち入りの日の12月14日には法要が行われ、たくさんの人が参拝します。御影堂には吉良義央の木像(県指定文化財)、義安像、義定像が並んで祀られています。普段は非公開ですが特別に見せていただきました。今川発祥の地と書かれた石碑は名鉄西尾駅から徒歩約30分の西尾中学のすぐ横にあります。ここは中世、今川荘の中心地でした。吉良荘の西条城城主・吉良長氏が次男の国氏に扶持として与えたのが今川荘で、国氏が地名の今川荘の今川を名乗ったのが今川氏のはじまりだそうです。その後、今川氏は駿府に移り住み戦国大名に登り詰めました。
30日 9月 2024
9月27日、浜松龍潭寺を中心に活動されている「井の国歴史懇話会」の現地研修に参加させていただきました。今回の行き先は桶狭間古戦場、西尾城、吉良家菩提寺「華蔵寺」でした。まず訪れたのは桶狭間合戦地です。桶狭間の戦いは1560年5月19日、織田信長が約四千人を率いて、二万五千人もの今川義元軍に挑み勝利した戦いです。信長公記によると、折からの雷雨と強風で今川本陣は混乱していた中、旗や幟の動きでそのことを見抜いた信長はその機を見逃さず命令を下し本陣を集中攻撃。義元は討ち死にしたそうです。直虎の父・井伊直盛が率いる部隊は今川軍の戦闘部隊として活躍しましたが戦いの最中、負傷していまい遠江まで帰れないことを悟りその場で自決したという説がありますが定かではないみたいです。直盛は井伊谷龍潭寺に葬られました。西尾城と華蔵寺のことは次回のブログで(*^_^*)
20日 9月 2024
彦根市美術展と彦根中地区公民館グループ展は終わりましたが、作品はそのまま滋賀銀行大藪支店ロビーに展示されています。平日9時から3時まで。滋賀銀行大藪支店はベルロード、県道2号線沿いにあります。機会があればお立ち寄りください