お墓しらべ隊メンバー3人は、5月26日の調査で分からなかった数基の供養塔がだれの墓なのか調べるため、今日も高野山にやってきました。井伊家菩提所は「高野山奥の院の墓碑をたずねて」などのパンフレットに載っている井伊掃部頭供養塔(奥の院と一の橋のまん中辺り、小高いところにあります)の他に、上杉謙信供養塔のすぐ隣、2カ所に約45基あります。苔むし、苔で茶色に変色した墓に水をかけ丹念にタワシで擦り、苔を落とし、字が見えたら没年・戒名などを読んでいきます。後はメンバーの日下部さんが、戒名の資料でだれの供養塔なのか調べていかれます。今日の調査で、井伊家藩主2代直孝、11代藩主直中、安中城主で直政の長男直継と側室、直政の正室東梅院など探していた供養塔を見つけることができ万々歳です。1番目と2番目の写真は2カ所の井伊家菩提所。3番目は井伊直孝の供養塔です。今日も3人、がんばりました(^_^)v
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ひろ (火曜日, 04 6月 2019 09:45)
人物が入ると、供養塔の大きさがわかりますね�
ご苦労さまです�
ひなまつり (火曜日, 04 6月 2019 12:46)
みなさんの協力で草木に覆われた井伊家のお墓が、きれいに清掃されていく姿に感激♪
6月9日の視察研修の下見だそうですが、大活躍でしたね。ご苦労様です。
みかんちゃん (火曜日, 04 6月 2019 14:41)
お墓しらべ隊の皆さん 暑い中ご苦労様でした。井伊家の供養塔が45基もあったのですね。とても多い供養塔だと思います。しらべ隊の皆さんが協力して、綺麗にして、全ての供養塔の戒名・没年を資料と確認した活動とても大変でした。以前から菩提所を訪れ、調査したいと思っていたと思いますが今回皆さんの熱意で達成出来たと思います。
井伊家歴代の方々の立派な行跡が偲ばれます。ありがとうございます。
SKB YO (水曜日, 05 6月 2019 10:00)
各武将の方々の供養塔があることはわかっていても、現地の人でも詳しくはわからないものがこんなにたくさんあるということなのですね。清掃し文字を読み、調べることによってからしかわからない
ということの作業そのものにも長い年月が経っているからなのだという、歴史を感じます。