彦根市鳥居本町、国道8号線沿いにある上品寺の釣鐘、上品寺7世住職「法海坊」が建立したものです。法海坊は近在の名主の子として生まれましたが、8歳のときに父を亡くし、菩提を弔うために出家します。法海坊が入った上品寺の荒廃ぶりはひどいものでした。上品寺は聖徳太子の霊場なのに鐘がない。鐘の建立が自分の務めだと考えた法海坊は江戸に行き、江戸市中を托鉢してまわりました。どういう縁か、吉原の遊女・花里と出会います。彼女は法海坊に深く帰依し、法海坊が釣鐘建立の志を述べると、一生懸命浄財を募ることに日夜奔走しますが、胸の病で若くして亡くなります。花里の志は同じ吉原にいた姉の花扇に引き継がれ、ついに釣鐘建立の費用が調ったのです。明和6年(1769)春、釣鐘を作り、法海坊自らが大八車を押し江戸から鳥居本まで運びました。鐘には寄進した遊女たちの名前が刻まれています。
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ひなまつり (金曜日, 17 4月 2020 08:25)
上品寺の釣鐘を見に行ってきました。
彫られた名前を見ていくと、老若男女・貴賤貧富、様々な境遇の人が含まれていることが分かります。
以下は想像です。
法界坊は、遊郭に囲われた人などの弱者に寄り添ってきたのではないかと思います。
こうして、たくさんの人から寄進を受けてできた、釣鐘。
人々の「救われたい」という願いを背に受けて、江戸から西進→地面を踏みしめて歩く姿は意気に溢れ→近江で眼下に広がる琵琶湖を見たときは、万感の思いだったのではないでしょうか。