特攻隊が飛び立った知覧

ホタル館

知覧特攻平和会館

鹿児島県知覧は、1941年、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校し、少年飛行兵や学徒出陣の特別操縦見習官たちが操縦訓練を重ねていたところでしたが、1945年、本土最南端の陸軍特攻基地になりました。第二次世界大戦終戦も近い頃、沖縄戦で、20歳前後の若者たち1036名が出撃、尊い命を落としましたが、特攻で生き残った隊員の苦しみは終戦からもずうっと続きます。故郷に帰ってら「死に損ない」「特攻くずれ」と言われ苦しみ、命をかけて国を守ろうとした彼らでしたが自決した人も少なくなかったそうです。生きていても「自分は自決する勇気さえない」と悔恨を一生抱え、詫びて生きていた人たちも多くおられたそうです。今は「ホタル館」という名前の鳥濱トメさんと特攻隊員とのふれあいの遺品や写真を展示している資料館があります。ホタル館はもともと「富屋食堂」で、特攻の母として慕われた鳥濱トメさんが営む食堂でした。富屋食堂は軍の指定食堂になり、優しいおばさんのいる少年兵にとっては憩いの場所でした。トメさんは明日、飛び立つ若者に食べたいものを私財を投じて食材を買い料理で持て成し、届かないはずの手紙を彼らから直接預かり家族に直接届けたり・・・特攻隊員の最後にやりたいことを叶えてあげられたそうです。戦争は二度とあってはいけません。

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コメント: 1
  • #1

    jun (月曜日, 15 7月 2024 09:32)

    彼らの勇気と使命があっての今があるのですね。