彦根長久寺 番長皿屋敷とお菊の皿

「お菊の皿」は。直政が数々の戦功によって家康から拝領した南蛮渡来の白磁器の皿で、足軽大将を勤めた孕石備前に増禄の代わりとして下賜され孕石家の家宝とされていたお皿です。

長久寺の無縁仏墓地にあるお菊の墓。命日は6月12日、法名は江月妙心。

寛文4年(1664)、彦根藩家臣の孕石政之進は侍女のお菊と恋仲になり二人は深く結ばれましたが、政之進には許嫁があり、お菊は心穏やかではありませんでした。わたしとお皿とどっちが大事なの?! 政之進の本心を確かめようと家宝のお皿を一枚割ってしまいます。政之進は少しも悪びれないお菊の態度を不審に思い問い詰めたところ、その真相を知り怒り心頭。自分の心を疑われたことを恨みお菊を手打ちにしたのです。この実話が後に、劇作家により政之進を青山播磨に、西馬場町を江戸麹町の番町に名前を変えて、番町皿屋敷や播州皿屋敷などの怪談劇に仕組まれたそうです。全国に多くの皿屋敷伝説がありますが、お皿が現存するのは長久寺だけです。この事件後、お菊の菩提を弔うためか?、政之進は出身、三河のお寺に出家したそうです。