17日 5月 2024
塩津街道沿いに残る常夜灯は、天保5年(1834年)に建てられ歴史的建造物に指定されています。塩津浜は日本海と畿内を結ぶ重要な場所、大津と並ぶ繁栄をきわめた町でした。常夜灯には、「海道繁栄」と刻まれています。江戸時代、北前船で運ばれた海産物、米、ニシン、鉄など、京、大坂からは呉服、酒、醤油など大量の荷物が集まったところ。塩津浜はまさに「海道繁栄」ですね(*^_^*)
17日 5月 2024
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部の父・藤原為時が越前国司に任命されましたね。任官地の越前へは式部も同行します。当時は越前へは北陸道を通って行きましたが、式部たちは、大津の打出浜から琵琶湖の西側沿いに、白鬚神社近くの勝野で一泊し、塩津に上陸。塩津で一泊した後、塩津神社で旅の安全祈願をし、深坂峠を超えて敦賀に行きました。塩津の常夜灯のすぐ後ろに塩津山を越えるときに式部が読んだ歌の歌碑があります。「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものとは」。塩津山を越えるとき、自分の輿をかくみすぼらしい格好をした男達の雑談を聞いて作った歌のようです。
17日 5月 2024
彦根市在住の画家、松林憲一さんの水彩画が滋賀銀行大藪支店のロビーに展示されています。この展示コーナーでは、季節ごと、2~3ヶ月ごとに作品の入れ替があり、松林さんの作品がほぼ一年を通して楽しめます。平日9時から15時までです。
14日 4月 2024
石山寺境内には紫式部の供養塔があります。この式部の供養塔は国の重要美術品に指定されていて鎌倉時代に建立されたと言われています。特徴は笠を三つ重ねた珍しい層塔で一番下の部分、四面に仏像、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来、薬師如来4体が彫られています。供養塔は式部を慕う人たちに日々、礼拝されていたのでしょう。供養塔のすぐ隣には松尾芭蕉の句碑があります。句碑には「あけぼのに まだむらさきに ほととぎす」と刻まれています。句碑の裏には嘉永2年(1849)に信州の松岡斎梅朗によって建立とあります。芭蕉は石山寺をたびたび訪れ、月見亭すぐ隣、芭蕉庵に滞在したと伝えられています。
12日 4月 2024
NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まり、石山寺は多くの観光客で賑わっています。平安時代、貴族たちの中で石山詣が流行していました。寺に詣で観音堂で夜通し祈願したそうです。紫式部も石山寺に籠もり、十五夜の月を眺めながら源氏物語の構想を練ったそうで、その部屋が源氏の間という名前で残っています。源氏の間の紫式部の人形は昨年12月に修理に出されていましたが、今年3月18日に新しい十二単に衣替えをした式部が源氏の間に戻ってきました。70年ぶりの修復だそうです。
08日 4月 2024
22日 3月 2024
京都大徳寺のすぐ近く、今宮神社門前にある「一和」と「かさぎや」二軒のあぶり餅屋さん、名物のあぶり餅がインスタ映えするということで賑わっています。さてあぶり餅の歴史は? 平安時代、あぶり餅は初代一文字和助が香隆寺(現在の上品蓮台寺)の名物だった勝餅を今宮神社の神殿にお供えいたのが始まりだとか。NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する一条天皇が疫病の流行を鎮めようと今宮神社を建立したこ頃と同じくして一和が門前に移り住み、あぶり餅屋を開業したそうです。その歴史は約1000年。日本最古の和菓子屋さんです。当時、あぶり餅の串は今宮神社に奉納された斎串を再利用していたので疫病除け、無病息災を願う縁起物のお餅として大人気だったそうです。つきたての柔らかいお餅にきなこをまぶして小さくちぎり、竹串に刺し、女性が備長炭で香ばしく焼き上げ白味噌のたれにつけたお餅です。一皿10本、丸餅一個分。形が不揃いで手作り感があるお餅です。
21日 3月 2024
朝、起きたら一面、うっすら雪化粧です。春なのに・・・ 今も降り続いています。
18日 3月 2024
3月17日(日)、彦根城博物館友の会恒例行事のお城散策です。案内はもちろん、城郭研究の第一人者中井均さん。今年の散策地は安土山の近くの観音寺城趾です。午前10時に安土城考古博物館に集合。今にも雨が降りそうな空、天気を心配しながらのスタートです。観音寺城跡までは桑実寺境内を通り段差のきつい石段と険しい道を30分くらい登りました。観音寺城は戦国時代、近江守護佐々木氏の居城。足利義晴が一時期仮幕府を置いた桑実寺を経由して本丸、平田丸、池田丸へ。途中山中での生活に欠かせない井戸跡、また石材の取り出し現場などを見学。全山そこかしこに石垣で取り巻かれた区画があり、家臣も山中に居住し、西国三十三観音霊場の一つ観音正寺とも共存するなど、全国的に見てもユニークな山城との説明に納得です。そこには矢穴技法で割られた石材が使われており、この矢穴のある石垣は観音寺城より後に築かれた織田信長の安土城には見つからない。矢穴技法とあわせ、大きな石(湖東流紋岩)を積み上げた工人の熟練の技に感服。戦国武将たちも駆け抜けただろう険しい山道を、中井先生の熱のこもるお話を聴きながら無事踏破。帰り少々春の雨に見舞われましたがいにしえを忍ぶ楽しい一日でした。                    
16日 3月 2024
京都洛西、鈴虫が年中鳴いているお寺、通称「鈴虫寺」。正式には妙徳山・華厳寺です。山門の脇には草鞋を履いたお地蔵さまが・・・ 幸福地蔵菩薩様です。願い事をすればお家まで来てくださり願いを叶えてくださるという有難いお地蔵様です。まずはお寺に行ったらご住職の説法を聞きます。その後お守りを授かり、幸福地蔵菩薩に参拝して一つだけ願いごとをします。住所と名前はお忘れなく。この日の説法は、北川副住職でした。なんと❕北川副住職は彦根の古沢町生まれだそうです。「欲張らないで今ある幸せに感謝しながら生活してほしい」と。心に残る良いお話でした。

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